虐待の記録・・・
私が言いたいことは、お母さんから離婚したお父さんからも、病弱でかわいがられていました。
しかし、母親は日常的に、しつけと言うなの体罰を繰り返していました。
私が、ヤンキーになって、取っ組み合いになって、母親をねじ伏せるまで続きました。
何故か、寂しかったのを覚えています。
父親は、お酒を飲むと豹変する人でした・・・
家族に、理不尽な暴力をふるっていました。
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幼稚園の年長さんには、経済的な理由で私は行ってなかったのですが・・・
ある日、外で遊んでいると外人さんから声をかけられました。
それからは、記憶がないのですが・・・
白い短パンに、うん○がついていた?そう思っていたのですが・・・
親や近所の人が、探し回っていて、私は性的虐待を受けたようでした。
お父さんと、お母さんが離婚してからは、6歳上の腹違いの姉から虐待を受けるようになりました。
毎日、掃除を学校からかえってきてから、しなければならないのですが・・・
妹は、窓から靴を持って逃げてました。
妹が逃げた事で、体罰を受けて家中の掃除をして、姉は押し入れに入ってしまいます。
掃除の後は、酷く殴られて裸で、夏だろうが冬だろうが、裸でベランダに出させられていました。
夏休みは、母親が母親の実家に子供をあずけていました。
おばあちゃんから、壮絶な虐待や体罰にあいました。
姉から体罰を受けるのは、お母さんに似ているからでした。
おばあちゃんに、虐待や体罰を受けるのは、1つ上の親戚の子供をおばあちゃんは育てていたのですが・・・
すべてにおいて、私が成績などが上でした。
体罰や、虐待を受けている私は、誰にも相談出来ずに、体の弱い私は衰弱していき、病気を繰り返す日常を送っていました。
2番目の旦那からも、日常的にDVを受けていました。
今の旦那からも、掴みかかられた事があります。
私を、殴っていた人は、口をそろえて
「青あざが出来やすい・・・」
と、言っていました。
自分の力で、暴力の連鎖を切ってきました。
時には、殴りすぎて手が痛くなるからと、武器?ものを使われたこともあります。
骨に、ひびがはいったり、骨折したこともあります。
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何故?私は殴られなかたのでしょうか?
父親の、母親からも母親と似てるといって殴られていました。
私のおじいちゃんは、半身不随になったのですが、トイレに行きのが邪魔だと、母親から意識がなくなるまで、殴られたこともあります。
2番目の旦那のDVを止めようとして、包丁を持ちだした時は、腕折られました。
掃除機かけているときに、掃除機が短くなったのをみたおばあちゃんは、意識がなくなるまで殴りました。
父親は、普段優しかったのですが、孫の手でお酒を飲んで死ぬほど殴りました。
小学4年生の私は、ベランダにパンツもはかされずに、夏は蚊ににかまれまくり・・・
冬は、死にほど寒くて、立っていられない位でした。
DVの2番目の旦那からは、兎に角骨にひびや骨折を受けていました。
助けてくれる人は、いませんでした。
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悔しくて、情けなくて、痛くて泣いていたような気がしまします。